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LIFE暮らしたいように暮らしている人の、暮らし
2017-02-15

時とともに味わい深く
-いつかではなく、やりたい今に向き合う生活へ。

トライバルメディアハウス
代表
池田紀行(イケダ ノリユキ)さん
麻里奈(マリナ)さん

築50年を超えるリノベーション物件に住む池田さん。ワーゲンバス愛好家しても知られる池田さんは、鎌倉への移住を決め、現在建設中だ。やりたいことは後回しにするのではなく、即実行することを信念とする、池田さんのスタイルについて伺った。

多忙ながらもプライベートを充実させたい

――池田さんは、40歳を過ぎてからサーフィンを始められたそうですが、どういったきっかけだったんですか?

会社を立ち上げて間もない頃は、会社の実績を作るために、来る日も来る日も仕事ばかりしていました。だけど、40歳を過ぎた頃から、“フルマラソンの折り返し地点を回った感”をひしひしと感じるようになったんですね。人生80年としたら、これから毎日“死”に近づいていくんだなと。

それで、ふと自分の行動を見つめ直したんです。そうしたら、それまでもずっと「いつか◯◯をしたい」が口癖だったことに気づいたんです。
例えば30歳の時は、40歳になれば仕事も落ち着いてるだろうから、鎌倉あたりに引っ越したいなって思ってたけど、実行していなかった。いざ40歳になったら「50歳くらいかな……」なんて感じになっていて。「いつか、いつか」って言ってたことが、何も始まってなかったんです。

 

――そのひとつがサーフィンだった?

サーフィンもずっとやりたかったことなのに、ずっとやってこなかったんです。多忙であっても、プラベートを充実させたいと思うようになり、2年前のゴールデンウィークに、サーフィンをしている社員にお願いして、連れていってもらうことにしたんです。覚悟を決めるために、先にサーフボードとウェットスーツを買って後戻り出来ないようにして。

――それが、ワーゲンバスの購入へと繋がっていってるわけですね

サーフィンを始めたてすぐに、移動に関しての問題に直面しました。一緒にやっている仲間は、波が良くないとなると、すぐに次の場所へ移動するのですが、ロングボードを毎回屋根にくくりつけるのが面倒くさくなって、それでサーフィン用に買い換えようと。

――最初からワーゲンバス一択だったのですか?

そうじゃないんです。まだ、その頃は自分のスタイルというのが固まってなくて、最初に妻へ提案したのは、ベンツのゲレンデヴァーゲンとか、レンジローバーだったんです。とりあえず「カッケー!」と言われたいなって。だけど、妻が難色を示したので、だったら30万ぐらいのセカンドカー的なものを買うかと思ったら、今度は妻が「本当にそれでいいの?それが乗りたい車なの?」と言ってきたんです。
だから「いや、ワーゲンバスが人生の夢だよ。いつか、あんな車に乗ってみたいなって思ってる」と言ったんです。ただ、空冷だし、燃費悪そうだし、故障も多そうだしと、それはあまりに現実離れした願望だと思ってたんですね。

そしたら、妻が畳かけるように「いつか、いつかって言ってたら、そのうち死んじゃうよ?いいの?」と言ってくれたんです。
それで、実際に車を観に行くことにしたんです。だけど、観た時点では欲しいとは思いながらも、帰ってからゆっくり決めようとしてんたんです。そしたら、最後にお店のひとが「たぶん1週間くらいで売れてしまうから、次に来た時に無かったらごめんなさい。」って言うんですよ。ただ「もし本当に気に入ってるなら内金はいくらでも大丈夫。」と言ってくれたんです。速攻、財布に入ってる5千円を渡して、買ってしまいました。
30万ぐらいのセカンドカーでいいかなとなっていたところから大きく転換したのですが、それを機に自分のスタイルも大きく変わることになりましたね。

ワーゲンバスをきっかけに変わったスタイル

――ワーゲンバスを買ったことで、どのようにスタイルが変わったのでしょうか?

ワーゲンバスの愛好家の仲間が出来たんですが、彼らはキャンプが趣味の人が多くて、「池ちゃん、今度キャンプ行こうよ。」と誘われたんです。
そういえば20年以上前ぐらいから「いつか、キャンプしたい」と言ってたことに気づいて、それでキャンプについて調べて、100アイテムぐらい一気に大人買いし、ワーゲンバスに全て詰め込んで、キャンプデビューすることになったんです。サーフィンを始めたことで、ワーゲンバスを買うことになり、その後すぐにキャンプデビュー、そして夫婦でキャンプを頻繁にするようになりました。

そこからは、まるでタガが外れたように、自分の中の「いつか、いつか」が無くなっていった感じです。やりたいと思ったらすぐにやるようになりました。好きが好きを呼んで、スイッチが入った感じです。

――サーフィンやキャンプ以外にはどんなことを?

ヤマハ発動機さんとの仕事が始まった時に「ボート乗らないんですか?」と言われて、これも学生時代にやりたかったことだなと、すぐに免許を取りました。ボートの免許を取ったら、今度は釣り、そして釣ったら魚をさばくことを覚えたい!という風にいま野望がどんどん広がっています。
最近、キャンプから派生して、バックパック1つに荷物を詰め込んで3泊4日程度のテント泊登山に行く準備を始めたり、社員にダンスをやっている人間がいるのを知って、ヒップホップダンスやりたかったと思い出してダンス教室に連れて行ってもらったり、あとはボクササイズを始めて、今度は落語教室にも行ってみたいなと(笑)。
やってみたいと思ったものはとりあえず全部やってみて、もし違うなってなったら、その時にやめればいいなって。とにかく考える前にやることを決めるようにしました。
30代の頃は、週末になってもたまにゴルフや旅行に行くぐらいでしたから、今はそれを取り戻すために一生懸命遊んでる感じですね。何かあれば、悩まずにすぐにやろうって。その最たるものが「移住」です。

運命の移住地へ。重なる“いつか”

――移住を決めたきっかけは?

もともと実家が大船の近くで、祖母の家も西鎌倉だったので、小さい頃から鎌倉や江ノ島にはよく遊びに来ていました。海を近くに感じる湘南の空気が大好きで、終の棲家は絶対湘南!と決めてはいたんです。でも、通勤が大変そうだから、「いつかいつか」って先延ばしにしていました。
移住を決意する切っ掛けになったのは、是枝裕和監督の『海街diary』を観たことですね。映画を観て、以前からずっと住みたいと思っていた鎌倉に、妻と改めて住みたいという話が盛り上がったんです。それで、すぐに鎌倉散策をしに行きました。
ところが、江ノ電の長谷で降りて、由比ヶ浜や極楽寺をてくてく歩いて回って行ったけど、2人にとってはなんだかしっくりこなくて……。そして、最後にたどり着いたのが稲村ヶ崎でした。

――それが運命の出逢いだったんですね

稲村ヶ崎に着いた時に、妻と顔を見合わせて「ここだ。この空気だ」となったんです。さらに、自分たちにとって理想的な、西海岸風のサーファーズハウスみたいな家を見つけて。その後、不動産屋さんに見せてもらった内のひとつが、その家の隣の土地だったんです。これは運命だなと思いましたね。
ただ、少し予定よりも土地が広くて、大幅な予算オーバーだったんです。とはいえ、2番目の候補もなかった。
その時に「いつか、湘南でレストランバーをやりたい」と思っていたことを思い出したんです。だったら、テナントを借りずに、この広い庭の一部を店にしたらいいんじゃないかなとなったんです。それで、買うことに決めました。

住まいは「基地」。コミュニケーションの場所。

――現在お住みの部屋も、かなりこだわりの空間ですよね?

引っ越してきたのは6年前です。当時はまだ自分の中でスタイルというのが固まってなかった頃なんですが、インテリアはミッドセンチュリーや北欧モダンが好きでした。

――建物としては、かなり古くからありますよね?

1964年に建てられた物件で、ワーゲンバスと同い年です。御年53歳!ここは物件が古いので、多くの部屋でリノベやリフォームがされています。だから、部屋の大家さんによって、家の作りが全然違うんです。自分たちは、リノベ直後の内装新築として入りました。

――この家で好きな所は?

景色ですね。家を選ぶ時の条件が、窓の外に隣家の窓がなく、南向きで、緑が茂っていることだったんです。ここは夏になると、まさに森のように一面緑色になるんです。そこが本当に気に入っています。

――古いものを、長く使っていくということについてどう思われれますか?

建てた瞬間から1日1日、劣化していくのは寂しくて嫌なんですよね。そうじゃなくて、時間が経てば経つほど、味が出ていくほうがいいと思ってます。だから、最初からそういったスタイルを目指すのが良いなと。ロングライフデザインですね。ワーゲンバスを買ってからは、そのスタイルが固まりました。

――池田さんにとって住空間とは?

暮らしとかスタイルとかの中心となる「基地」ですね。今、建てている新しい家が、まさに自分の理想で、一番のコンセプトは“コミュニケーション”です。
この家でも、ホームパーティをしたり、いろいろな人を呼び入れたりしていました。多種多様な人が、自分たちの住む場所に出入りして欲しいという気持ちがあって、もっとそれを実現するために建てているのが、新しい家です。
70歳とかになったら、若い留学生とかを受け入れたりしたいですね。色んな人達との交流が死ぬ直前まであるといいなと思います。だから、自分にとって住まいとは、人々が交流するための基地なんです。

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