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2018-05-01

浅草唯一の飴細工専門店「飴細工アメシン」が伝統工芸をリノベーション!?

SAHRE on

現在、日本における伝統的工芸品=伝統工芸の産業は、高度経済成長をとげる過程の中で、生活様式の変化や、海外の安価な製品の輸入増大などにより需要が低迷、危機的状況にある。そんな伝統工芸の世界の中で独学で技術を習得し、次の世代につなげるべく奔走するのが、「浅草 飴細工アメシン」の飴細工師・手塚新理さんだ。彼が語る「伝統を守る」とは?

手塚 新理(テヅカ シンリ)さん
1989年 千葉県生まれ。独学で飴細工をはじめ、2013年に東京浅草に、飴細工の工房店舗「浅草 飴細工アメシン」を設立。全国各地にて製作実演や体験教室、オーダーメイド等を手掛ける。現在飴細工師として、9名の弟子を抱える。

自らの理想を求めて、花火師から飴細工師へ

――飴細工の世界に飛び込んだのは20歳の時だそうですが、はじめられたきっかけは?

幼少期からモノづくりの世界には興味があったのですが、中学を卒業して高専へ進学したんです。そこで工学系の研究をしていて、改めて自分の方向性じゃないと感じました。「刺激があるモノづくりをしたい」と思い、“刺激”という言葉から「花火師」になろうと16歳の頃に思いたち、将来を見据えて花火師の責任者になるための準備を進めようと考えました。そこで18歳と19歳の学生時代に国家資格を2つ取得し、花火職人への道を歩きはじめたのです。

――そこから、なぜ飴細工の世界へ?

イメージしていた花火師は職人がひとつひとつ手作りで作る世界。もちろんそのような古くからの伝統を大切に、国内で手作りを行っている会社も存在してはいるのですが、現在の花火業界は、以前に比べ海外の工場で作られた安価なものを使うところが増えてきているのです。たまたま就職した花火の会社も、その流れの中にあって、中国の会社と合弁会社を作るから、中国の工場の責任者になれと会社に言われて……。それは自分が求めていたものと違うなと思い、辞めることにしたんです。

――職人になりたかったと。

それで、腕一本で勝負できるものは何かないかと考えた時に、頭に浮かんだのが飴細工師だったんです。時間勝負でカタチを作り、作っている過程も見せる、ごまかしのきかないスタイルで、これこそ求めていた世界だなと。

飴細工自体は日本人に馴染みのあるもの。ところが、色々と調べたら産業としては衰退し続けていることを知りました。もったいないという感覚と同時に、本気でやれば可能性があるんじゃないかと。花火師の時の挫折もあったので、今後一生できるものをと冷静に考えて、勝算がある飴細工の世界に飛び込もうと考えた感じです。

情熱と商売は常に同居している

――手塚さんは、飴細工の技術をほぼ独学で習得されたそうですね。

弟子をとっているような工房がそもそもなかったんです。だから、最初だけ体験教室などにいって初歩的なことを学び、そこからは自分で研究です。

――それは大変ですね。挫折しそうなものですが……

大変だということは、チャンスということです。だからこそ、面白いなとも思ったんです。最初は材料の研究からはじめましたが、そのあたりは高専時代の経験もあり苦ではありませんでした。

――しかし、趣味ではなく仕事として考えると“茨の道”ですよね。

最初の半年は家にこもってずっと研究でしたから、貯金を切り崩して生活していました。そこからウェブサイトを作り発信することで、徐々にイベントのお仕事をもらうようにはなったのですが、それでもまだ食べていけるほどではありませんでしたね。週末は飴細工師、平日はデザインの仕事、夜は配達の仕事とトリプルワークをしている時もありました。


「浅草 飴細工アメシン」東京スカイツリータウン・ソラマチ店

――24歳のときに「浅草 飴細工アメシン」の立ち上げたわけですが、店舗を作るに至った理由は?

おかげさまで、イベントの仕事は増えていたのですが、それはあくまでも受け身の仕事です。ずっと続けていくためには、自ら発信できる場所が必要だと思い店を構えた感じです。

――1号店の場所は浅草。なぜ浅草に?

意外かもしれませんが、浅草で飴細工のお店を構えているのはうち1店舗だけなんですよ。以前も路上などでやっている人はいたようですが、専門的にお店を構えたものはなかったんです。

――飴細工というと、お祭りの屋台のイメージありますね。

それまでの飴細工は、大道芸に近い位置づけでした。正直なところ、見せることが中心で、細部までこだわるほど仕上がり重視ではなかったんです。だからこそ、自分は逆に仕上がりにこだわったものにしようと。できたものが工芸として成立すれば、もっと可能性が広がると思ったんです。ちなみに日本の飴細工では、透明なものを作るという発想はありませんでした。

――たしかに、白いイメージありますね。透明は難しい?

難しいというよりは、面倒くさい感じですね。飴自体は元々透明ですが、製造の過程で練っていくうちに白くなってしまう。だけど本来の透明を活かしたいと思って、研究を重ねました。

――その発想は独学だからこそですかね?

そうだと思います。こうじゃなきゃ駄目というものがそもそも無かったので、凝り固まらずに自由な発想が出来たと思います。

――仕事として成立するのに時間がかかる中で、挫折しそうにはならなかったんですか?

もちろん挫折しそうなことはありました。だけど可能性にかけたかったんです。

――それは、飴細工への情熱としての可能性?それとも商売としての可能性?

飴細工への情熱があったからといって、商売として成り立つわけではありません。商売として成り立ってこそ存続していくことができる。だから、その2つはある意味、同居しているんです。

木を組む前に、人を組め

――今後の展望は?

一番やるべきことは人を育てることです。今、9人の弟子がいますが、彼らが技術を習得し、それを応用して、さらに自分にしかできないものを生み出してはじめて価値になる。伝統は、ただ同じことを続けるんじゃなくて、進化をしつづけて、時代に合わせて生き残ってきてはじめて伝統になると思うんです。現状維持で甘えていたら、存在自体なくなって伝統どころじゃない。次の世代につなげて、進化させて、この先、500年、1000年と残っていくようにしたい。そのためには人を育てることが重要なんです。

――未来をつなげていくことこそ、伝統になると。

まずは商売として成立させること。これはとても重要です。モノとしての需要や、つくり手が途絶えてしまっては意味がない。
昔から宮大工の間に口伝で伝わっている「木を組む前に、人を組め」という言葉があります。技術の伝承も、ビジネスとしての成功も、全て同時進行でやっていかないと、いいものは残っていかないんです。

――古きを知り、新しきを知る。言うならば、伝統工芸をリノベーションしていく感じですね。

まさに、今リノベーションの真っ只中です。いい部分は残しつつ、それを腐らせるのではなく、未来に向かってより良くしていきたいと思っています。

浅草 飴細工アメシン
http://www.ame-shin.com/

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