SC1278
2018-03-29

イタリアで最優秀受賞のソムリエ・林基就。元・商社マンの弟と立ち上げた「Vino hayashi」の今後の展開とは?

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林基就(ハヤシ・モトツグ)
1975年生まれ。愛知県出身、イタリア在住。イタリアでミシュラン三ツ星を最も長く獲得するレストラン「ダル ペスカトーレ」にて、プリモソムリエを約7年間任され、2009年にイタリアのレストランガイドブック「イ・リストランティ・ディタリア」にて、年間最優秀ソムリエ賞として選出される。2012年にはイタリア国際ワインアワード「オスカー・デル・ヴィーノ2012」において、最優秀ソムリエ賞を受賞。

林功二(ハヤシ・コウジ)
1980年生まれ、愛知県出身。2004年、大学在学中にNPO法人stactを設立、若宮フットサルパークを開業させる。その後、三菱商事で商社マンを経験した後、兄・基就とともに株式会社Vino Hayashiを設立、代表取締役となる。

海外への憧れから、ソムリエという夢へ

――イタリアでソムリエの頂点に輝いた経験をもつ林さんですが、そもそもソムリエという職業を知ったのはいつ頃ですか?

林基就(以下、基就):大学に入った頃です。アルバイトをしていたイタリアンレストランではじめて知りました。そこのオーナーが、元マキシム・ド・パリのギャルソンだった方で、彼のサービスが、それまで自分が知っていたものとは全く違いました。凛として威厳があって、とにかくカッコよかったんです。

――サービスの真髄といった感じですかね。それで、憧れになったと。

基就:高校生の頃から、将来は海外で働きたいなと漠然と思っていましたが、大学は理系の工学部で、飲食業で働くとは考えてもいませんでした。しかし、レストランというステージでは海外で活躍する人も多くいて、もしかしたら自分もそのチャンスを掴めるかもしれないと思いました。

――海外では働きたいというのが先にあったわけですね。

基就:イタリアはフランスと並び、世界で1、2を争うワインの生産国です。1990年代当時、日本ではイタリアから発信される文化やファッションを目にすることが多く、例えばセリアAとか、フェラーリ、料理、ファッションだったらグッチ、プラダ、アルマーニといった感じですね。自分の中で、イタリアはどこよりも洗練されたイメージがありました。それが、若い自分にとって、イタリアワインのソムリエという仕事への情熱の後押しになったと思います。

――ということは、ソムリエという職業への情熱はそこまで無かったわけですか?

基就:いえ、そうではありません。イタリアにおいてミシュランで三つ星を初めて獲得したイタリアのグアルティエロ・マルケージで、プリモソムリエをされていた小谷悦郎さんの存在を知ったことが大きな転機となりました。

その頃、中田英寿がヨーロッパで活躍し、同郷の小谷さんもイタリアの有名店でソムリエとして確固たる地位を築いた。それまでは、イタリアが本場のもので、日本人が現地で活躍するのは夢のような話でした。しかし、もはや夢ではなくなった。それなら日本ではなく、ソムリエとして本場のイタリアで大成したいという目標ができたのです。思い立ったらすぐ行動するタイプだったので、すぐにイタリアに渡りました。

――弟の功二さんは、当時のこと覚えていらっしゃいますか?

林功二(以下、功二):兄から「ソムリエになる。イタリアに行く」と言われて、最初は「ソムリエって何だ?」という感じでした。それで、城アラキさんの「ソムリエ」という漫画を読んで、ソムリエについて知りました。自分はサッカーをやっていたのもあって、兄の行動を「中田みたいでカッコイイじゃん」と思ったのを覚えています。

――基就さんの行動は、その後の功二さんに影響がありましたか?

功二:ありましたね。自分も海外に行きたい気持ちがあったので、大学時代にアメリカへ留学しました。留学から帰ってきて、バイトをしたのがワインショップのエノテカです。

――ワインに興味が出てきたということですね。

功二:それがそうじゃないんです。「兄貴がソムリエなら、弟もワインに詳しいだろう?」と思われるのが分かっていたので、だったら少しは知っておこうと思ったんです。エノテカに「兄がイタリアでソムリエやっていまして…」とアピールして、アルバイトにねじ込ませてもらった感じです(笑)

――現在は「Vino hayashi」を基就さんと一緒にやられていますが、それはエノテカでのアルバイトがキッカケに?

功二:いえ、まだその頃は微塵も思っていませんでした。その後、商社に勤めていたのですが、何か独立して事業をはじめたいと思っていたのです。そこで、色々模索する中で、自分たちにしかない強みがないと上手くいかないと考えていた矢先、兄がソムリエでナンバーワンを獲得したのです。「これだ!」と思い、すぐに話を持ちかけました。

――基就さんが、レストランガイドブック『イ・リストランティ・ディタリア』の最優秀ソムリエ賞を獲得したのが2009年。会社の設立は翌年ですから、本当にすぐだったんですね。

功二:エノテカでバイトをしていたとはいえ、ワインのビジネスについては正直何も知りませんでした。だけど、知らなかったからこそ、飛び込むことができたのだなと今では思っています。

■強みを活かし“食のディアゴスティーニ”に

――「Vino hayashi」としては現在どういった事業を展開されているのでしょうか?

功二:ワインの輸入業は、通常酒屋や問屋に卸すのがメイン。しかし、うちは個人のお客様が2/3ほど占めています。ワインをただ輸入して販売するのではなく、生産者の思いや、その土地の話などを、ワインのストーリーと一緒に送るのが特徴です。ワインを学びながら楽しめるコンテンツとしては「イタリアワイン通信講座」も提供しています。1年を通してワインの奥にあるイタリアという国の地理や文化が学べ、ワインや歴史に対する興味が一歩前進するきっかけとなれば、と願っています。

――ワインを楽しむにはストーリーも重要ということですね。

基就:星の数ほどあるワインの中で、なぜこのワインが選ばれたのかというのは、ワインを楽しむ上でもとても大切です。イタリアのワインは、“ただビジネスのためだけに作っている”ワインが少ないんです。

マーケット的には、名の知れているカベルネ・ソーヴィニヨン、メルロー、シャルドネあたりを栽培し、それでワインを作れば問題ない。だけど、イタリアではあえて土着のぶどう品種を育てワインにしています。その理由は、それらのワインがその土地の郷土料理と切り離せない関係にあり、深い歴史と伝統に守られているからです。国際品種の入る隙がないようなイタリアの土着ぶどう品種の世界、それがとても魅力的です。

――ただの商売としてのワインではないということですね。イタリアの方は、それほどワインを飲まれる?

基就:日本と比べたら40倍ほどの消費量だと思います。まさに水のように飲みますね。

――「Vino hayashi」の今後の展開は?

功二:我々が目指す方向は、食のエデュテイメント・カンパニー※です。2015年からはじめたイタリアンワイン通信講座がおかげさまで好評で、現在は第7期生の募集をしています。さらに続編をという声もあったので、「イタリア土着品種研究会」というのを新たに立ち上げたんです。そこで、毎回特定の土着品種に絞って理解度を深めていこうというのを今後展開していきます。

我々の強みはイタリアの生の情報が入ってくることです。ワインは競合しているインポーターからも買っているので、今は輸入会社じゃなくて、コンテンツを売る会社だと思います。今後は、ミールキットとのセットなど、食のディアゴスティーニのような存在を目指し、発展していきたいです。

※注 エデュテイメント・・・エデュケーションとエンターテイメントを合わせた造語

(取材・文 黒宮丈治)

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