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2018-03-27

音楽プロデューサー・佐々木潤が語るMISIAとの出会い。そして、「多動力」とは?

SAHRE on

佐々木潤(ささき・じゅん)
1966年生まれ、宮城県仙台市出身。スタイリストとして活動後、DJとして音楽活動を開始。FUNK MASTER GO-GOでデビュー後、COSA NOSTRA、PEACE FORCEなどの活動を経て、MISIAの楽曲をプロデュース。音楽プロデューサーとして活動する傍ら、モデル、俳優、フォトグラファーなど多方面で活躍する。

音楽家、スタイリスト、フォトグラファーと多岐にわたって活躍されてきた佐々木潤さん。前回に続き、今回はMISIAさんとの出会い、そして生きる上でのこだわりについて伺いました。

衝撃的なボーカリスとの出会い

――前回は、MISIAさんとの出会いについてのお話を伺いましたが、初めて出会われた時の印象は?

まだデビュー前の彼女に、うちのスタジオへ来てもらって仮歌を録ることになったんです。それで初めて彼女の歌声を聴きましたが、それはもう鳥肌ものでしたね。彼女と出会ったことで、プロデュースワークに専念しようとCOSA NOSTRAも辞めるキッカケになったほどですよ(笑)

――最初に手掛けたのがセカンドシングルの「陽のあたる場所」。当時のJ-POPにはあまり無いタイプのサウンドでしたよね。

スライ&ザ・ファミリー・ストーンの中でも、「暴動」というアルバムが大好きで、それっぽいことをやりたくて、ああいったアプローチになりました。

――その次の「BELIEVE」も佐々木さん。両方共大ヒットでしたね。

MISIAのボーカル力もあり、さらに言えばたまたま、うまく時代にマッチングしたんだと思います。

インスタ映えを先駆ける

――音楽以外の活動で言えば、フォトグラファーもなされていますよね?

それも、たまたまです。僕が足を怪我して、外を動き回れなくなって暇だったので、趣味で集めていた70年〜80年代の古いフランスの雑誌を、持っていたポラロイドのSX-70にクローズアップレンズをつけて、再撮して遊んでいたんです。そしたら、それをみたアートディレクターの信藤三雄さんが気に入ってくれて、それなら写真集を出してみようかと、自費出版したんです。


YAJIMAX名義で自費出版した写真集

――これ、ポラロイドフィルムのカタチのままですよね。

そのカタチがよくて、敢えてこだわりました。SX-70がとにかく楽しいんですよ。ピント調整が色々できて、わざと全体をぼかしたり、ある焦点だけピントを合わせてボカすこともできるのが良かったですね。

――まさに今でいう「インスタ映え」じゃないですか。

そうかもしれないですね(笑)そもそものカメラをはじめるキッカケも信藤さん。レコーディングスタジオでビリヤードをしていたら、信藤さんの奥さんで、音楽ユニットのハイポジのボーカル・もりばやしみほちゃんが、「潤くん(松田)勇作みたいだね」と言い出して(笑)そしたら信藤さんが、そういう映画を撮ろうと『代官山物語』という映画で主演することになったんです。その時に演じた役がカメラマンで、YAJIMAXという名前。それでカメラが面白くなって趣味になったんです。

――そこからサザン・オールスターズの「HOTEL PACIFIC」のジャケットにいたると。

それも信藤さんのつながりでしたね。まさにこの自費で出した写真集がキッカケになって、これっぽい感じというオーダーで撮ったものです。

こだわりを持たないからこその動き回れる

――スタイリスト、DJ、音楽プロデューサー、役者、フォトグラファーと、ほんとうに幅が広いですよね。

だから、僕は音楽家という感じじゃないんです。音楽自体もファッションの匂いがするものが好きだし。音楽を構造的に学んでということもキチッとやらずにはじめましたから。前回も話した通り、サンプリングに出会ったことと、そしてMISIAに出会ったことですかね。

――MISIAさんとの出会いはそれほど大きかった?

彼女は歌える音域が広い。通常のボーカリストの倍以上あるから、どんなメロディでも歌いこなせるんですよね。だから、制約がある中ではなく、自由に作れたことで、発想を自由にでき、その後の楽曲につながっていると思います。

――これまでの活動を聞けば聞くほど、時代を先駆けている印象ですが、そうした活動におけるこだわりのようなものはありますか?

松田優作さんが演じた『探偵物語』の工藤ちゃんの台詞で「ただ雲のように漂って生きたい」というのがあるんですが、それをモットーにしています。適当のように思われるかもしれないけど、あまり変にこだわらないようにしているんです。

――最近のワードだとまさに「多動力」だと思うんです。こだわりを持たないからこそ、様々な活動ができるということでしょうか?

なんでも乗っかっていくわけではなく、自分なりには取捨選択はしています。ただ、割と誰かに背中を押されて、その勢いに乗っているところはありますね。このぐらいの歳になると、自我の確立みたいなのがあるかと思いますが、もしかしたら自分にはそれが無くて、だからこそ色々と出来てきたのかもしれません。生きていれば辛い時も楽しい時もある。どんな時でもなるべく平常心で生きていられるようにと思っています。

(取材・文 黒宮丈治)

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