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2018-01-23

宝物は坂東玉三郎さんからの「着物と羽織」
舞踊家・梅川壱ノ介の目指す舞台

SAHRE on

梅川壱ノ介(うめかわ・いちのすけ)
大分県出身。新潟大学卒業後、東京バレエ団に入団。退団後、国立劇場歌舞伎俳優養成所を経て、歌舞伎の世界へ。2016年7月、現在の名前に改名し、歌舞伎俳優から日本舞踊を専門とした舞踊家へ転身。古典や現代アートとの融合作品を数多く手がけ、テクノロジーやクラシック音楽とのコラボ、また神社仏閣や美術館を舞台とした取り組みなど、枠にとらわれない表現で、日本のみならず、海外での活動や、さらに講演会なども行っている。

他人から見れば価値が無いように見えても、自分にとっては誰にも譲ることのできないモノがある。人生の中で、そっと寄り添うそのモノを、わたしたちは「人生の宝物」と呼ぶ。
クラシックバレエから歌舞伎の世界、そして舞踊家への転身。自ら「舞う」ことへのこだわりを貫き、新たな挑戦を続ける梅川壱ノ介さんが、大切にする「人生の宝物」とは?

――前回は、舞踊家になるまでのお話を伺いましたが、歌舞伎俳優の頃に「フィッシャー症候群※」を発症されたことは、その後の人生に良い意味で影響を与えたそうですね。

※フィッシャー症候群…難病指定されている疾患の一つ。ギランバレー症候群の亜種とされ、物が二重三重に見える、顔面神経麻痺や四肢のしびれ、体にふらつきが出て歩行困難になるといった症状が出る。
今になって思えば、病気になる前にもSOSは出ていたなと思います。その頃は、歌舞伎の世界にどっぷりで、踊りというものもなんとなく掴みかけた頃だったので、修行もとにかく詰め込んでいたんです。疲労が蓄積する中で、様々な要因が重なって病気が発症したのだと思います。不謹慎かもしれませんが、病気になった瞬間は「やっと休める」と思ったほどです。

ただ、靴をまともに履くこともできないし、服を着るのも、ベッドから起き上がるのも、寝ること自体もうまくできない。最初はポジティブに捉えていましたが、症状が出て半年ぐらいたつと気持ちも落ちてきて……。明るい音楽聴くのも嫌になり、太陽が嫌いになって昼間もカーテンを閉めるほどになりました。

そこで気づかされたことが、これまでの自分はただ「ポジティブであれば良い」としか思ってなかったということです。実際に自分がそうであったように、人はネガティブな中では、何を言われても腹が立つ。今までは元気が無い人を元気にしたいと思えば、明るい曲を聴かせたり、元気に接したりすれば良いと考えていました。だけど、それはある意味「余計なお世話」なんです。自分の中で、どん底を味わった時に、そういった気持が分かるようになり、その経験が「舞踊」に対するアプローチに変化をもたらしてくれました。

――現在は病気の状態は?

フィッシャー症候群という病気は、完治はしないとされていて、あくまでも「症状が和らぐ」だけなんだそうです。今でも寒くなると足がしびれる感じもありますし、不安になることはあります。だから、身体の状態には前以上に気を遣っていますね。

――しかし、日本舞踊をベースに「舞う」ということを仕事にされているということは、身体を酷使しますよね。病気を抱えながらも、舞踊家という選択をしたのは何故なのでしょうか?

好きだからです。ただ、それだけですね。その好きということに、まっすぐに正直でいることがシアワセで、それだからこそ健康にいられるということがわかったからです。

学生に向けて講演をさせていただく機会もあるのですが、その時にいつも「本当に一番好きなことをやったほうがいい」と言っています。知識がないと選択肢も少なくなるから勉強もしたほうがいいですが、将来の選択肢は一番好きなことがいい。例えばゲームがすきならゲームをしたほうが良くて、好きなことを続けることが結果、シアワセにつながる。僕にとってはそれが「舞踊」です。踊っていることは、僕にとって睡眠と同じくらい大切なことです。

――舞踊と同じくらい、梅川さんにとって大切な「人生の宝物」とは何でしょうか?

この着物と羽織です。これは、舞踊家になってから、師匠でもある坂東玉三郎先生につくっていただいたもの。“ここぞ”という時しか着ないと決めていて、袖を通すのはこれがまだ2回目です。

――どういった経緯で頂いたものなのでしょうか。誕生日とかですか?

そういう記念日みたいなのではありませんでした。ある日突然、「つくったから取りに来て」と連絡を頂いたんです。たまたまブルガリアに公演へいく前々日だったのもあり、現地でテレビ放送も決まっていたので、せっかくなら先生の着物を着たいなと取りに伺ったら、このような立派なもので、驚きました……。先生は用意してくださった理由を特に言わなかったのですが、着物も良いものを持っていた方がいいし、良いものは自分を成長させるとか、そういった想いが詰まった贈り物なんだろうなと解釈しました。

この着物だけじゃなく、着物自体が自分にとって大切なものです。舞踊家として、着物を着ている姿を観ていただいたときに、「自分も着たいな」といった風に、何か思ってもらえたら嬉しいなと思っています。

――バレエ、歌舞伎、舞踊と変化し、日本という中心点を持ちながら世界を舞台に舞う梅川壱ノ介として、今後目指す方向性は?

前回も話しましたが、日本舞踊というもの非常に奥が深く、いろんな要素が含まれていると思っています。歴史を紐解き、自分なりに解釈して舞う。ただ、それをみなさんに押し付けたいということではなく、自分はその解釈を「踊り」というものに昇華したいんです。それは、金屏風の前で日舞を踊ることかもしれませんし、プロジェクションマッピングが施されたシンデレラ城の前かもしれません。いろんな形に変化させながら、違和感がなく心地がよい世界という提案者であり、舞踊家でありたいと思っています。柔らかいものであったり、硬かったり、伝統的なものだったり、舞踊は無限だと思います。

――舞踊家という職業にピンと来ない人もいると思うのですが、もしかしてそれはあくまでも呼称であって、梅川さんが目指すものは「梅川壱ノ介」というひとつのジャンルということですね。

歌舞伎俳優と言われたらイメージは出来ても、舞踊家はイメージが湧かない人は少なくないと思います。この1年間は、それを理解してもらうのに苦労した1年でもありました。だけど、僕が「舞踊家」である以上、自分の「舞踊」を観てもらい、自分自身を知ってもらえれば、舞踊家が何者かわかると思っています。地球という大きな舞台の中で、「梅川壱ノ介」を舞い続けたいと思います。

(取材・文 黒宮丈治)

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