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2018-01-23

バレエから歌舞伎、そして舞踊家へ。
梅川壱ノ介の人生を突き動かす3つの支え

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梅川壱ノ介(うめかわ・いちのすけ)
大分県出身。新潟大学卒業後、東京バレエ団に入団。退団後、国立劇場歌舞伎俳優養成所を経て、歌舞伎の世界へ。2016年7月、現在の名前に改名し、歌舞伎俳優から日本舞踊を専門とした舞踊家へ転身。古典や現代アートとの融合作品を数多く手がけ、テクノロジーやクラシック音楽とのコラボ、また神社仏閣や美術館を舞台とした取り組みなど、枠にとらわれない表現で、日本のみならず、海外での活動や、さらに講演会なども行っている。

クラシックバレエから歌舞伎の世界、そして舞踊家への転身。自ら「舞う」ことへのこだわりを貫き、新たな挑戦を続ける梅川壱ノ介さん。なぜ、現在の選択をしたのか、これまでの人生を振り返りながらお話を伺った。

――日本舞踊をベースに「舞う」ことが職業の梅川さんですが、舞踊になったのには、クラシックバレエ時代の経験が大きく影響されているそうですね。

バレエをはじめたのは大学に入ってからでした。幼少の頃から、クラシック音楽を聴くのが好きで、その頃からオーケストラを聞いて、分からないなりに音に合わせて身体を動かしていたんです。音の世界からイマジネーションを湧かせるのが心地よかったんですよね。
高校生の頃にクラシックバレエの世界に触れて、すぐに「これだ!」と思い、大学進学とほぼ同時にバレエの世界に飛び込むことを決めました。師事したバレエ教室が住み込みだったのもあり、大学の4年間は、365日24時間バレエにどっぷり浸かっていました。

――大学卒業後は東京バレエ団に入団されて、海外での活動もされていましたが、そこでの経験が歌舞伎俳優になるキッカケとなったとのことですが。

東京バレエ団の頃、海外ツアーでヨーロッパへ行ったのですが、現地のオーケストラを聴く機会があり、そこで衝撃を受けたんです。劇場自体の素晴らしさもあったのですが、そこで生まれた音楽を、そこで生まれた人たちが聴いている、その雰囲気が、見事に調和していて圧倒されました。
そこで、今後自分が世界に出ていくにはどうしたらいいのかと省みた時に、彼らが自分たちのアイデンティティーを大切にしているのに、日本人である自分は日本の伝統芸能を全く知らないことに気づいたんです。そこで日本の伝統芸能に触れてみると、実に素晴らしい世界であることに初めて気づいたんです。そこで、「もしかして、自分が選ぶべきはバレエでは無い?」と思うようになったんです。思い立ったら行動に移さないと気が済まない性格なのもあり、すぐに東京バレエ団の退団を決めました。

――様々なある伝統芸能の中で、どうして歌舞伎を選ばれたのですか?

クラシック音楽でもそうですが、もともと「古典」が好きでした。決まりの中にも新しい世界があり、伝統を守ること自体に意味がある。その意味は何であるかというのを探る、その歴史を紐解く作業。その紐解くというのが、自分の解釈や見解であって、これこそ古典の魅力です。古典が好きという中で、選択肢としては能や狂言などもあったのですが、たまたま3年に1回の歌舞伎養成所の募集があり、「これは行きなさい」と神からのお告げなのかなと思い、試験を受けたところ合格したんです。

――歌舞伎の世界から、現在の「舞踊家」へと転身された理由は何だったのでしょうか?

歌舞伎は、大きく分けて「時代物」「世話物」そして「舞踊」という3つのジャンルが包括されています。始めた当初は「舞踊」にあまり魅力を感じられず、バレエのほうが正直好きでした。ところが、養成所で坂東玉三郎先生に出会い衝撃が走ったんです。日本舞踊の真髄というか、「こんなにスゴイのか!」とグッと引き込まれてしまった感じです。日本の歴史や精神性が、ひとつの踊りの中に詰め込まれていて、深すぎるというか、深さが永遠に続いている感じで、潜れど潜れど終わりが見えない。そうして気づいたら、日本舞踊の世界にどっぷりとハマっていました。
踊りを踊っている時は、無心だし時間も忘れるし、こんなシアワセなことはないとなったのですが、日本舞踊が好きになればなるほど、そのほかの演目に対しての興味が薄れてしまったんです。歌舞伎の世界に居続けたとして、自分が得意ではないことを続けていると、“修行している”感じはします。でも、それはあくまでも「感じ」というだけ。それなら、もし自分が大好きで得意な「舞踊」に全てを注いだら、もっともっと成長できるし、さらにそんなシアワセなことはないなと考えたんです。

――ある意味、好きを極めるために“効率化”させたということでしょうか。

“効率化”かは正直わかりません。ただ、そうすることで、結果どうなるのか観てみたいと思った感じで、歌舞伎の世界から飛び出して「舞踊家」として独り立ちすることに決めました。舞踊家になって2年目ですが、最初の1年はとにかく、ただがむしゃらだったと思います。古典のものを踊る機会が多かったですが、オーケストラと踊らせてもらう機会もあり、とにかくつっぱしって、進んでいって、それから考えようと。何事もやってみないとわからないし、やってみて本当にわからない。根本的に自分はポジティブなんですよね。

――ポジティブとはいえ、“歌舞伎”から飛び出し、独りで新たな世界を目指すのは、正直怖くありませんでしたか?

正直、不安でした。でも、それでも前を進めたのは、バレエをはじめとする「踊る」ということがずっと大好きだったから。そして日本舞踊の世界を極めたいという情熱があり、尊敬する玉三郎先生という目指す人がいる。この3つの支えがあるから、例え暗闇の中でもまっすぐ走り続けられると思います。

(取材・文 黒宮丈治)

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